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| 仏教各派の中に「水子供養」をすすめる宗派もあれば、そうでない宗派もあります。特に浄土真宗ではそのようなことを行わないと聞きますが、同じ仏教なのに何故でしょうか。 |
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| 答 |
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一般に「水子」とよばれるものは、何らかの理由で母親の胎内で中絶され、この世の中に人間のいのちとして誕生し得なっかた子供といってよいかと思います。
そして、そのような子供を霊として実体化し、人間の都合によって葬り去られたいのちは、必ず近親者に不幸をもたらすものだと、そのために供養をしなければならないというのが一つの「水子供養」の捉え方ではないかと思います。
しかし、本来仏教は「諸法無我」の教えであり、そのような霊の存在を説くものではないのです。ただいつ頃か、この「供養」という形の中に「罪を滅する」ことと「善根を積む」ことが同時に成り立つ、それが仏道修行だという考え方が生まれたのでありましょう。
しかしこれまた、人間の都合によって罪を滅したり、消したりというのは「まことに自己中心的なものの考え方」だと言わざるを得ません。
仏教は決して「水子供養」をすすめる教えでもなければ、否定する教えでもありません。ただその水子供養の根は、もともと人間の不安や恐れから逃れたいという功利心から生まれたものであります。そのような不安や恐れを供養という形で気ばらしさせないというのが仏の教えであります。
仏教は「如実知見」を説き、どこまでも仏の智慧に照らして出された身の事実にうなづき、引き受ける道を教えられたのであり、そのような道に立つことを親鸞聖人は「浄土真宗」といただかれたのであります。
さっぽろ東本願寺 第96号より |
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