真宗問答
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真宗問答
私はお正月になると神社へ初詣でへ出かけます。ある時、ご住職からそれよりもお寺の「修正会」(しゅしょうえ)にお参りしなさいと言われ戸惑っています。何か年の初めに神社にお参りしないと不安を感じるのですが・・・・・。

 「初詣で」のことでお尋ねでありますが、これまで恐らく何の疑問をもたずに、年の初めには神社へ参ることが習慣になっていたのだろうと思われます。今、ご住職からの指摘を受けて「寺へ参る」ことと「神社へ参る」ことに何の違いがあるのか、自身の中に素朴な問いとして生まれたものと言えましょう。
 そもそもご自身がおっしゃるように、年の初めに神社へ参らなければ不安を感じるという。すなわちそこに神の本質を見ることが出来ます。人間を安心させたり、不安がらせたりするのは神の存在だということでありましょう。それ故、人間個々の無事、息災を祈願するため、日本人の世間的習慣として「初詣で」が行われているように思います。しかし果たしてそのような「神への祈願」が根本的な人間の不安を解決する道となり得るのか甚だ疑問に思います。
 ご住職が元旦につとまる「修正会」にお参りしなさいと言われたのは決して「神」を「仏」に変えて参れということではないのであります。
 「神への祈願」はどこまでも自己中心的な祈りに終始するものであり、人間欲望の延長線上の出来事であります。
 それに対して「仏に参る」ということは、いかにこの自分の人生を都合よく生きようとしているか、そこに限りない人間の無明性を教えて下さる仏法との出遇いであります。
 言うなれば仏法によって自己が発見され、それによっていかなる境遇にあっても「生きていける世界」を賜ることであります。初めてそこに、真の安心が開かれるのでありましょう。

 さっぽろ東本願寺  第109号より