真宗問答
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真宗問答
一般に「門徒もの知らず」ということを聞きますが、何か門徒と呼ばれている人を蔑視しているように思います。それは一体どういうことを指していうのですか。

 古来より浄土真宗の教えを汲ましていただいているものを「真宗門徒」と称して来ました。そしてその名告りには「真宗の教えを拠り所として生きる輩」という意味をもっていたように思います。
 それがいつ頃か他の人々より「門徒もの知らず」、門徒は世間の常識に疎いものと揶揄するような言葉として用いられるようになりました。
 しかし、その語源をたずねてみると「門徒もの知らず」とは「門徒もの忌み知らず」から生まれた言葉であります。
 「ものを忌む」とは、人間の好き、嫌いの感情がもととなり、「ものをきらう、さけるの心」を表します。
 一般に世間において人が嫌うこと、避けることは、自分も同じように、そのことに従わなければならないことが常識だと考えるようになりました。中でも日常生活においては日のよしあし、方角のよしあし、姓名のよしあし、更には印相、墓相、家相、手相、人相に至るまで人間心の嫌う、避けるの心がはびっこております。
 それは結局、人間の不安や恐れの心からくるものであり、その心に蓋をして自分だけは不幸になりたくない、うまい目にあいたいという自我欲心の心と言わざるを得ません。
 そのような心をもって世間の常識だと考えること自体、何か非常識のように思われます。
 一方、「門徒」とよばれて来たものは真実なる仏の教えに耳をかたむけ、全て因縁の道理にしたがう生き方を身につけ世間の常識とされるような「ものを忌む」ということに用事がなかったのです。
 まさに、念仏の教えは人間の執われ心から開放し、自由、闊達な人生観を養って来たのであります。それがいつの間にか「もの知らず」の意に使われるようになりました。しかし、門徒は「もの知らず」と呼ばれて来た中に、人生の本当の意味を見出していたのだと思います。
 この言葉は人間一人一人、みずからの人生を主体的に生きることはどういうことかを問う言葉として受けとりたいものであります。