真宗問答
 1  2  3  4  5  6
 7  8  9 10 11 12
13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24
25 26        
テレホン法話
ひがほんこども会・こども広場
機関誌『東本願寺』最新号
出版物のご案内
真宗大谷派札幌別院
〒064-0807
北海道札幌市中央区
南7条西8丁目290
TEL:(011)511-0502
FAX:(011)521-4339
E-Mail
Map
真宗問答
真宗の教えでは、よく「煩悩具足の凡夫」ということを言いますが、何か人間を卑下する言葉に聞こえます。違うのでしょうか。

 宗祖親鸞聖人の著述の中には、これに類するお言葉が数多く用いられております。例えば「一切善悪の凡夫人」 「煩悩成就の凡夫人」 罪悪生死の凡夫」 「五濁の凡愚」 「愚縛の凡愚」 等、確かに人間存在をあらわす言葉にちがいありません。しかし、宗祖にとってこれらの言葉は、単に人間の代名詞ではなく、宗教的自覚をあらわす言葉であります。「煩悩具足の凡夫と思わなければならない」というのとちがうのであります。どこまでも仏法に見出された人間の「身の事実」であり、宗祖は「凡夫は、すなわちわれらなり」と言い切っておられます。決して人間のおもいや感覚でとらえた言葉ではないのであります。
 さらに『一念多念文意』の中には「凡夫というは、無明煩悩われらがみにみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえずと・・・・・」
 人間は、どれだけ自分を解釈しても「身を煩わし、心を悩ます」存在から一歩も離れることはない。いわば人間の現実存在を言い当てた言葉と申せましょう。
 曽我景深先生は「”わが身は現に罪悪生死の凡夫”これのみが、たった一つのまちがいのない真実である」と教えて下さっております。
 人間、本当のことに出遇ってはじめて頭が下がる世界が開かれるのであります。